日焼け対策は自然な行為ではない
何種類かの日焼け止めを手に取り、その成分表をざっと見ていきますと、合成界面活性剤、紫外線吸収剤、紫外線散乱剤、アルコールといった成分をはじめとして、その他、さまざまな添加剤などの名前を見出すことができます。
これらのすべての成分が、ある種の肌に対しては「肌荒れ」の原因となるわけであって、日焼け止めというのは、どのようなものを選んだとしても、そこに含まれている日焼け止めを成立させるための成分が、「肌荒れ」を引き起こす可能性を持っています。
日焼け止めにおけるケミカルとノンケミカル
たとえば、さきほど羅列した紫外線の成分のうち、「紫外線吸収剤」と「紫外線散乱剤」というものがありました。
このうち、「紫外線吸収剤」が使われている方の日焼け止めを「ケミカル」、「紫外線散乱剤」が使われている方の日焼け止めを「ノンケミカル」と呼びます。
このように書きますと、「ケミカル」のほうが「肌荒れ」を起こし、「ノンケミカル」は「肌荒れ」を回避できる、というようなイメージを抱く人が多いのではないかと思われます。
もちろん、「ノンケミカル」に属する「紫外線散乱剤」が使用されている日焼け止めは、「ケミカル」である「紫外線吸収剤」が使用された日焼け止めに比べて、「肌荒れ」やアレルギー反応が起こりにくいには確かです。
実際、「ノンケミカル」の日焼け止めは、幼児であるとか、極端に肌が弱い「敏感肌」の持ち主に推奨されている日焼け止めではあります。
ノンケミカルだからといって安心できるわけではない
ですが、だからといって、この「ノンケミカル」の日焼け止めを利用していれば、「肌荒れ」やアレルギー反応が絶対にないのか、というと、そういうことはありません。
日焼け止めというのは、個々人の体質によって相性が左右されるものですから、「ノンケミカル」の日焼け止めを使って「肌荒れ」やアレルギー反応を起こす人もいます。また、「ノンケミカル」であるからといって安心して使っていたところ、体質が乾燥肌になってしまった、という症例も見受けられます。
逆に、「ノンケミカル」でそのような肌の異常症状を出した人が、なぜか「ケミカル」の日焼け止めのほうは問題なく使える、というようなことも往々にしてよくあるようです。
このように、「ケミカル」と「ノンケミカル」を取り上げただけでも、「これを使っておけば間違いない」というような日焼け止めを提示することは正直なところ難しい、というのが、日焼け止めの抱えている大きな問題であると思います。
日焼け止めを使うという選択は化学物質と生きるということ
皮膚というものが、精神状態などによっても左右されてしまうデリケートなものであり、日々変わり続けているものであることを考えると、おすすめの日焼け止めというのは、他者に対して容易に差し出すことができないものなのかもしれません。
ですから、日焼け止めは、自分の体質と相談しながら、自分にあっているものを探していく必要があります。
その選択の際に、「この日焼け止めには合成界面活性剤や紫外線吸収剤やアルコールが含まれている。だから、ダメだ」というように、「化学物質」を否定し、むやみに「天然」であることを持ち上げるようなテキストを全面的に信頼することはできないように思われます。
「日焼け止めを使う」という選択は、そもそもが、それがどれほど微細な量であっても「化学物質とともに生きる」という選択に直結しているからです。
日焼け止めというもの自体が反自然・反天然である
本当に「天然」を求めているのであれば、日焼けによって起こる染みやそばかすを「自然」や「天然」のものとして受け入れればよいのではないか、というのが私の考えです。
日焼け止めというのは、「肌」におけるアンチエイジングの一環として行われる行為であるでしょう。
それは「老化」という、人間本来の「自然」や「天然」に意識的に反抗していくというある意味で反自然的で人工的な営みです私は、なにも、反自然の営みであるアンチエイジングが悪い、などと言いたいのではありません。
ただ、アンチエイジングを目指す人間でありながら、そこに対して自覚的でなく、「科学物質」のたぐいを全面的に否定する姿に対して、わずかな滑稽さを感じてしまうことは避けられないでしょう。
自分と相性がよい「化学物質」が含まれている日焼け止めを探す、くらいの心構えが、日焼け止めの選択という自然でも天然でもない行為においては相応しい態度なのではないかと私は考えています。